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少子高齢化社会とか言われてますが・・・

子育て世代には、手厚い政治的補助が待っているようですが、現在聞こえてくる介護関連の情報では、何か明るい未来があるような話は聞こえてきてません。

介護保険施行から翻弄され、母親を在宅介護で12年面倒みているアラフォー独身男が、社会的底辺の生活、社会制度の不備、行政の冷遇、無能な政治家の活動など、リアルな現状を書いていきたいと思っています。

非婚、未婚率がどんどん高くなって、目の前に親の介護を意識している方や、現在、僕と同じように介護生活で頑張っている方など、交流できたらいいな、と思ってます。

嘘みたいな話が出てきたり、こうすれば救済されるんちゃうの、と思われる方もいるかもしれませんが、実際の生活の話ですので、社会の冷遇を実感してください(笑
12年も介護をやってますので、ネタがたくさんありすぎて、どうまとめて書いていこうか悩みますが、試行錯誤を繰り返しながら、頑張って綴っていきたいと思います。

私の在宅介護の変遷























 '97年12月:母が自宅で入浴中倒れる。すぐ救急車で搬送。クモ膜下出血との診断で、翌日手術。
1ヶ月の闘病&リハビリでほぼ完治。退院して自宅療養となる。
 '98年01月:退院後1ヶ月ほどで、失禁や問題行動が目立ち、通院時の検査で正常圧水頭症と診断される。
2週間後の入院手術が決定。
 '98年02月:クモ膜直下に溜まった水が影響してるという事でドレナージに使った管を利用して、シャント術を施術する。
2週間ほどの入院で完治し退院。
 '98年05月:GW明けくらいから、失禁・問題行動が見られ、水頭症は治ってるものと思ってたので月1回の通院日まで
様子を見ておこうと思ったが、あまりにおかしいので、中旬に急遽通院。CT検査で正常圧水頭症と診断。
前回はクモ膜直下部に髄液が溜まったもので、今回は脳室拡張が見られるとの事。
前回同様に、シャント術で治ると言われ、即入院、10日後に手術と決定。
術後、麻酔が切れても目が覚めず、首皮膚下にうっすら赤みの筋。手術の際、不手際で出血させた模様。
目は覚めたが、発語もなく、視線の焦点も合ってない。3日後痙攣を起こし、緊急再手術。
痙攣は、シャントが詰まり髄液が溜まり過ぎた為で、入れ替えて今は流れてる、との事。
麻酔が切れ、目が覚めるが、発語はほぼ無い。焦点は少し戻った程度。
ここから、地獄が始まった・・・・
 '98年07月
   ~
 '99年12月
術後1ヶ月半。一向にレベルは上がらず。CT検査で、シャントの詰まりはないが、十分な排出がされてないん
じゃないか、との判断。非常勤の大学教授の病院に転院し、再手術する事に。
6日に転院し、9日に再手術。マグネット式シャントバルブを埋め込む。術後、多少の認知は残っていたが、
追々バルブの調整で治るだろう、との事で、19日に退院決定。
退院当日朝に行ってみると、昨晩にトイレで座り込んでいたとの事で、念のため延期して脳波等の検査をする
事に。
外傷もなく脳波にも異常が無いことで退院かと思いきや、夕方から39度を超える発熱・・・
お腹が痛いと言ってたが、翌日には意識がほとんどない。炎症値20を超え、腹部の精密検査が始まる。
結局、臓器の異常は見られず、意識ないのでCTを撮ると脳室拡張が・・・。シャント不全で髄液が流れてないと
判断。体内で拒絶があり、管の周りにたんぱく質が取り巻き、詰まってしまったらしい。
すぐに入れ替える手術が行われた・・・・
その後、入れ替えても2週間程度で拒絶反応が起き、また入れ替えるという事の繰り返し。
ほとんど意識も戻る事もなく、何度も痙攣を起こすなど、ほぼ付きっ切りの状態に。
この急性期での手術回数は23回にも及び、未だにその記録は破られてないそうだ。
朝方3時間ほど自宅に帰って最低限の事だけをして病院に戻る生活を転院まで続ける。
仕事はもちろん、生活も、体調もボロボロになった。
 '00年09月:拒絶も落ち着き、最初の病院に転院後療養型病床に移動。
意識は戻ったが、寝たきりが長かったため、歩行は無理、発語も十分ではなく、最初に言われた「髄液さえ流
れれば元に戻る」とは程遠い状態。しかも「これ以上は無理」と・・・はぁ??
付きっ切りの状態からは解放されたが、3日目の夜に、ポータブルを片付けようとして転倒。左前腕と顔面の骨折。
夜は目が届かないって事で、ギプスが取れるまで付き添い。
その後、リハビリを続けながら様子を見るが一向にレベル改善は見られず。
 '01年01月:要介護認定を申請し、要介護度3の判定。そのまま療養型での入院継続
 '01年08月:とうとう自分の体が悲鳴を上げた。39度の熱と炎症値10という謎の入院。2週間の絶食・点滴生活。
同じ病院内だったので、点滴ぶら下げながら、母の洗濯を病院のランドリーでするという目に遭う。
 '01年10月:老健へ3ヶ月の転院。ここで施設のレベルを色々経験する事に。
老健と療養型病床を行き来するプランを病院側から提示され、了承。
ローン満載の持ち家もバリアフリーではないし、改修にも資金が無いしで、施設介護メインで
話は決まっていたのだが・・・
3日で褥瘡を作らされたり、背骨の圧迫骨折が7箇所もあったり、色々と・・・
それに対する謝罪さえもない所でした。
 '02年01月:元の長期療養型病床に転院。この時点で持ち家を維持する事を諦める。
 '02年05月:前回の老健に移るはずが、在宅へとの話に。
最初の入院時から知ってる看護士がケースワーカーになっており、事情も知ってるのに、強引な話。
次の老健が見つかっても、その次に療養型に戻る事も出来ないとか言い出す始末。
在宅でもサービスを使えばやっていける、と強引に期日まで迫って追い出し作戦が展開される。
家を手放し、通院できるアパートに引越し、最低限の準備しか整わないまま、療養型を追い出される。
 '02年07月:完全な在宅介護に突入。この頃は介護保険には無知で、ケアマネに言われるままで
取り敢えず週末はショートに預けて仕事をしないと、生活が成り立たない、と必死だった・・・
が、3回目のSSで、肋骨を折るという事故。強制帰宅という処置に納得がいかず、ケアマネと抗議に行くも
全く文句の言わないケアマネに激怒。
何故事故になったか、連絡までに何故3時間も掛かったか、骨折させておいて家で面倒看ろとはどういう事か
挙句に、出禁まで言い渡す始末。これは未だに納得してないので、落ち着いたら裁判でも争うつもりでいる。
系列の施設は一切使えない状態になり、前に使ってた老健のSSを使う事になる。
隣町のため、送迎はないし、介護レベルの低さはそのままで、3日以上預ける事もできず、だんだん仕事が規制
される状態に・・・
 '03年01月:要介護認定更新を行い、要介護度4に。3から4になったのは何故かを聞いても誰も
答えてくれない事に疑問を持つ。この頃から、この介護保険制度に疑問を持ち始める。
 '05年01月:要介護認定更新を行い、要介護度4に。
 '06年07月:SSに預けるとレベルが下がって帰宅し、次のSSまでに必死でレベルを上げる日々。
それでも徐々に下がり傾向で、発語もなくなり、車椅子に座らせるのも大変で、ミキサー食しか食べれない状態に。
 '06年08月:通院時、主治医にレベルの低下が、水頭症の症状そのものである事を言い、大学病院に入院する事に。
前に入院してた時とはスタッフもほぼ入れ替わっていて、全部最初から説明する事に。
結局、「シャントは詰まってはないが、流れが悪い」という見解。リハビリで様子を見ようと。また1日1回は顔を見せ
ないと認知症が進むので、毎日通う生活に・・・
しかし、一向に良くなる傾向は見られなかった。
 '07年02月:レベルは変わらないまま、シャントの入れ替えを願っても医者には聞き入れられず、途中、退院しようとすると、
発熱したりで延び延びになり、要介護申請をし直し、要介護度4のまま退院。
 '07年04月:夜中にいきなり39度を超える発熱と嘔吐。救急車でそのまま入院。レベルが下がった
ままで、抵抗力も下がり、感染したんだろう、と。
前回同様、熱が出れば点滴、何かする訳でもなく2日に1回、15分程度のリハビリで、レベルも変わらず。在宅で看る
にも安定しない状況が続く。
 '08年03月:病院側の追い出しも厳しく、特養、老健も一杯の為、在宅に決心。入院が長かった為、要介護認定を再申請する。
判定結果は要介護度5。とうとうMAXまできてしまった。
 '08年04月
    ~
 '09年04月
シャント不全にも関わらず、医者は匙を投げ、満足な介護サービスもない事へ、本格的に取り組む事に。
まずは、介護ができる位のレベルの上昇。手術はしないので、マッサージや便通コントロールを正確にする事で
改善を目指す。毎日のレベルを細かくチェックし、上昇傾向が見られる要素を徹底的に毎日行う。
半年ほどで発語、9ヶ月くらいで手足に力が入るように。
 '09年04月:夜中にいきなりの39度の高熱。嘔吐もあり大学病院へ救急搬送。炎症値14。
敗血症との診断。抗生剤の投与で様子を見る。
尿路感染、胸水、腹水等が溜まってる慢性のもので、治らない、と診断。
2週間後、37.5度以上の熱が続いてるにもかかわらず、急性期じゃないとして、退院命令。
恐らく、便通コントロールやリハビリ等、要望をしたので煙たがられたのであろう。
発熱、炎症値が5程度で退院させるという態度に怒りを覚えた。
 '09年06月
   ~
 '09月09月
月1の通院時、微熱もあるので、諸検査。炎症値、尿検査でアウト。即入院。
大学病院の敗血症の入院時からの感染が、完治してない為だろう、と(そりゃ、当たり前)。
元々ここは療養型病床から追い出した病院。在宅へと無理矢理移行させられたので、また在宅へ帰すには、
レベルダウンにならないよう、毎日のケアの要望を細かく指示。と、言っても家でやってた事の半分程度。
後は、自分が面会時にやる事で、埋め合わせ。
1ヶ月ほどで、平熱、炎症値は2以下、レベルも維持し、PTの頑張りもあり、足腰もしっかりしたまま。
しかし、別件の検査結果待ちで、2ヶ月ほど退院延期となる。
因みに、前回の大学病院での胸水、腹水の溜まった状態は治らないと言われた件は、退院時にはほぼ無水。
医療のレベルもいい加減なもんだなぁ、と改めて思う。
 '09年11月:またもや夜中にいきなりの高熱。緊急入院。点滴1週間で完治。
すぐ在宅へ帰還。
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テーマ : 介護
ジャンル : 福祉・ボランティア

コメント

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こんにちは

訪問履歴から来ました^−^

介護お疲れ様です。

今の日本の政治はおかしいですね、

高齢者多いのに、子供手当てがどうのと・・・・

政治家は目先の事しか考えない人多いから、

選挙の時はいいことを言って、票集めして、

当選したら、形だけの発言だし、

高齢者の事など、あり合わせみたいな政治だし、

見本の政治の根本がおかしいから・・・・・

政治家の利権問題多いし、

国民の事を本気で考えてくれる人が少ないですね、

介護は明日は我が身と、思ってない人が多いからかな〜

私も祖父の介護経験があるので、苦労は多少ですが分かります。

誰にも横断できなく、苦労も多いと思いますが、頑張って下さい。

乱文ながら。

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あのま

Author:あのま
シングル介護で12年。要介護5の母親の介護をしながら、何の補助もない社会制度に苛立ちを覚え、赤裸々な現実をここで書いてみたいと思います。

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